洞窟のなかの絵の共有

「狩野派」は室町時代の中頃から幕末の頃まで、その流派が存続された日本美術においてはその基礎をつくりあげたといっても過言ではないほど大きな流派であったようです。江戸幕府が美術を活用した政策の組織化を模索しているような最中にも、狩野派の探幽は徳川幕府の御用絵師となり、画家としての立場においては公的な立場にあったようです。その後、探幽を中心とした江戸狩野が確立されていくなかで、室町時代から幕末という長きに渡りその名が伝承され続けたようなのです。15世紀~19世紀に渡り約400年ほどの間、血縁関係のあるものたちが組織形態をつくりその技や技法を伝承しつづけることができきたという歴史は世界を見渡しても類を見ないと言われているそうです。